常に任務に全力を傾け そのすべてが成長の糧になった
グローバルカンパニー副カンパニー長
グローバル・スマートシティプロジェクト
統括プロジェクトマネージャー
神波 泰夫
1996年入社
海外の都市計画プロジェクトに憧れて入社
しかし国内港湾計画のおもしろさを知る
大学で建築を専攻し、住宅メーカーに就職しようと決めていましたが、大学の先輩から聞いた建設コンサルタントの仕事、特に海外の都市計画分野に魅力を感じて入社しました。
卒論で漁港の再開発を取り上げていたこともあり、最初の配属は港湾部で、コンテナヤードや護岸の設計業務を担当。その後、東京湾や那覇港の港湾計画という大規模なプロジェクトや、青森・新潟・横浜・名古屋の計画系業務を一通り担当することで、港の需要予測、施設計画、それに応じた計算など、港湾計画業務の全体を理解していきました。入社後すぐに設計業務に携わったことで、計画の最も基礎となる構造物についての知識を深められたことが、その後の仕事に大いに役立ちました。
建築への思いが捨てられず一級建築士を取得
港湾計画に関する物流の研究にも本格的に取り組んだ
港湾部の仕事をしながらも、都市計画や建築の仕事がしたいという思いがあったため一級建築士の資格取得に挑戦し、3年掛かりで取得しました。資格の勉強中に港湾部の仕事も本格化し面白さを感じていたため、他部門への異動希望は出しませんでした。
港湾計画を策定する上で、貨物の流れに関する知識や知見が欠かせません。そこで物流の奥深さに気づき、物流モデルを作る仕事に取組み始めました。同時期に物流をテーマにした国内外の学会にも参加し、論文も執筆しました。その一方で、東京港の港湾計画には長期間関わり、10年毎に行われる改訂に2度もメインで携わりました。この時期に習得した知識や培った人脈は、その後の私の大きな財産となっています。
国内留学で水防災の修士を取得し
海外業務を主とする組織に異動
入社当初から海外で仕事をしてみたいという思いがあり、社内で希望を出したところ、入社10年目、30代前半の頃に念願だった海外業務(ベトナムのプロジェクト)に携わる機会が訪れました。同時期に、ある大学で発展途上国の若手実務者を対象とした水防災の新規カリキュラムが創設され、参加しました。1年間全て英語で水防災の研究を進めるというコースで、国内留学のような経験ができ、広い知見と英語力を身に着けることができました。その後、主な担当は国内業務でしたが、海外業務を続けたい思いが強く、周囲の協力を得ながら小規模に継続していました。その結果、少しずつ携わる機会を増やすことができ、新たに設置された海外業務を主とする組織に異動し、先頭に立つことになりました。
JICAの専門家としてタイに3年駐在
各国政府高官とも一緒に仕事を進めた
国際事業分野では港湾とSEZ(Special Economic Zone;経済特区)の開発業務が複数あり、それらの業務に取り組み始めたのが40歳前後です。ミャンマー・ダウェーでの2万haのSEZ開発プロジェクトとイギリスの港湾設計に携わり、1年の半分くらいは海外出張に。
その後、ダウェーのプロジェクトに、JICAの専門家として派遣され、3年間タイに駐在しました。タイのNESDB(日本における経済企画庁)に籍を置き、タイやミャンマーの大臣の前でのプレゼン、日本の外務省幹部のアテンドや国土交通省の技術系トップとのダウェー訪問など、各国政府高官とも一緒に仕事をしました。責任が大きく緊張感もあり業務は大変でしたが、この仕事の中で学んだことは多く、海外の人脈も大きく広がりました。この経験が私の海外業務における大きなターニングポイントとなっています。
PMとしてさまざまな業務を受託
積み重ねた経験を成長のバネに
45歳のときにJICAのプロジェクトで初めてPM(Project Manager)業務を受注し、シンガポールでの仕事にもチャレンジするなど、1年間のうち2/3は断続的に海外出張(飛行機搭乗90回)を経験しました。徐々にPMとして順調に仕事が受注できるようになり、タイのスマートシティ構想の調査業務、ヨルダンのJICA技術系プロジェクトを受注するなど、現在も海外展開を進めています。
自分がやりたいことをやるためには、たとえ遠回りでも今の場所を成長の機会だと前向きに捉え、一生懸命にやることが重要ではないかと感じています。国内から海外、港湾から都市計画など様々な経験をしてきましたが、振り返ればどれも貴重な経験であり、全てが今につながっています。日々試行錯誤ではありますが、時代に乗り遅れず、かつ地に足をつけて、これからも新たなチャレンジを続けていこうと思います。